建築への夢は安藤忠雄の建築に出会ったことから始まりました。
それは学生の頃、偶然立ち寄ることになった姫路文学館がそのきっかけでした。
館内を順路にそって一通り歩くと、外見からは想像できないとても印象的な空間の連続で時間の流れまでもが変化したような不思議な感覚をおぼえました。
そして、建物の屋上に上がると姫路城が見えます。
お城から500mも離れていない場所に建っているのでよく見えて当たり前なのですが、その迫力は他の場所からの見え方とは比べ物にならない迫力でした。
こんな見え方があるのだと、とても衝撃を受けたのを今でも鮮明に憶えています。
外に出ると階段状になった大きな水盤の連続で、その水盤はとてもゆっくりと下流へと流れていきます。
その真ん中に浮かんだスロープは水盤の上を優しく下っていきます。
そして、そのスロープを歩いて下っていくと水の流れる音がとても穏やかに後からついてきます。
出口を出ると、しばらくは何がなんだか分かりませんでした。
とにかく、こんな建物があるのだとショックを受けました。
建築は、空間は、こんな風にも見えてこんな風にも感じる事ができるものなのだと。
それからは、安藤作品をよく見に出かけたものです。
京都、大阪、神戸と関西には安藤建築が数多く目にすることができます。
その建築には全てにおいて共感することができました。
デザインは隅々までコントロールされ、空気までもが作り出されているようなすがすがしい緊張感があります。
今でも安藤建築、そして安藤さんの生き方は目標のひとつです。
しかし、住み心地に関しては別です。
住宅はとても人が快適に住めるとは思えませんでした。
冬はキンキンに寒く、夏はカンカンに暑い。
一年中で快適な期間はほとんどないように思います。
安藤さん自身、住宅の依頼をしてきた人には不便で不快、住みにくいと最初にはっきりと断っておくそうです。
さすが、安藤さんです。
デザインばかりを気にして、クライアントに甘い言葉ばかりを口にするナンパな建築家とは本質が違います。
しかし、そういったデザイン重視の住み心地がよくない家でも建築界では評価されることが多々あり、逆に、そういった作品ばかりが脚光を浴びているような世界でもあります。
たとえ、クライアントに訴えられるような建築だとしてもです。
華やかな建築の世界では、クライアントはパトロンのようなモノなのかも知れません。
建築家の目は建築家の世界でどうやったら認められるか、そんなことばかりに目が向けられているように感じます。
最近の野心のある建築家は特にこの傾向が強く、さらに加速しているように思います。
正直、そんな世界にはうんざりします。
クライアントの要望に正面から向き合ってひとつずつ積み上げて行く。
どんな時でも住み心地に対して安心感のある、ホッとできるような空間。
そういった空間や建築を目指したいものです。
そして、それが建築界で評価されなくても結構です。
元々、そんな名声は求めていないのだから。
テーマは、「家族の風景」、「穏やかな暮らし」です。
このテーマだけは何がなんでも貫き通していくつもりです。